kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

過去在籍していた会社が全滅している件

今回札幌から市外へ引っ越しをするために就職活動を行った。

その際に履歴書と職務経歴書をExcelで作成したんだが、自分でもまあ職歴、転職回数が多いなと思った。

以前セイコーマートの流通センター倉庫で短期のピッキング作業アルバイトの面接時に、くたびれたおやっさんに「あんた、いろんな仕事してんな~大丈夫?ちゃんと将来考えてんの?」と当たり前のように言われて(お前に心配されなくても大丈夫だわ!)と思いつつもそれと無く、その場をとりつくろったりした。

だから面接で落ちた経験はほとんど無い。転職が多いから面接で落とされるという幻想は自らが作ってる。仕事・職種を選ばずに、余程酷い面接をしなければ面接なんてほとんど受かる。あの頃はブラック企業とか呼ばれて無かったから、自分が就職していた会社はほとんどアウトな仕事ばかり。

だって過去の職歴を見て、現在生き残っている会社がないんですもの。

ということは、勤めていても退職せざるを得なかった、辞めて良かったのでは?と自分に良い解釈で考える。

「あ~よかった!」

そう、自分は、すべてはうまくいってる!のだ!

現在就職は決まってるので、私の潰れた過去の勤めた場所を連ねていってみる。


そば処 大善

札幌豊平区平岸にあった蕎麦屋。19歳の冬、ビデオを返した帰りにとぼとぼと平岸街道を歩いていたら、「アルバイト・パート・ホールスタッフ募集」という張り紙を見て☎すぐに電話した。

店長(当時48歳位見た目58歳位の親父)と店内客席で面接して、後日連絡がきて合格。当時の時給は580円(最低賃金572円)スタート。

働いてからわかったが、この店長、相当数の面接を断っていた。「猫の手も借りたい、人が足りないのに!早く誰か入れろや!」と何度思ったことか。しかも偏屈で頑固な職人だったので、若い子は店長の陰湿ないじめに耐え切れず、パワハラで辞めていく人が続出した。

それでも指導されてそば職人を目指したが、店長は段々と俺の前で気を許すようになり昼の営業を終えて奥さんが帰宅した後、かならず天ぷら油台の下のステンの開きの中にある二級酒「千歳鶴」を飲みながら酔っぱらい営業をし始めるのが非常に深刻になり、奥さんにもチクることは出来ず、また息子が大善を継ぎそうな気配を感じ、ヤバい…こんなのと共倒れはごめんだと思い、慰留されたが退職。

その後やはり息子が二代目を継いで見事に店をたたんだ。多分続く不況で向かいにあるビルのテナントが消えていったのと、一番は同テナントと近くのビルを所有していた、ハドソンが倒産して消えて無くなったのがデカい。あとは多分二代目が創業を潰すセオリーだったのだろう。


(有)アイ技研工業

札幌にあったアンカー屋。アンカー屋とは「土留め工事」アンカーボルトもやるが、基本はケミカルグラウトアンカー。

削孔機と呼ばれる専門重機を使用。二重管で数メートル~削孔していって(50メートル以上は削孔することもある)掘り進めて、その穴にセメントミルク注入後アンカー体(鋼線の束)を差し込み、固めた後に油圧ジャッキで緊張(くさびを打って支圧板から出たアンカー体を数トン〜何十トンという力で引っ張る)する。

求人雑誌「アルバイト北海道」で見つけたこの会社、アルバイトは日給一万円、初めはアルバイト入社し、その後忘年会で周囲に説得(ボーナスが沢山出るとか…)されて正社員になるが、のちに色々な意味で酷く後悔することになる。正社員で福利厚生費を引かれて月約25万円だった月給が一気に下がる、約18万円だった!

実態は超過酷な奴隷肉体労働で、削孔に使用する二重管は中のインナーと外側のケーシング合わせて、長さ2メートル管が約80キロ強あって若いのに腰を痛めた(ヘルニアなど)人多数。

また、死にそうになった経験は数知れず。アンカー工と言っても基本的には何でも屋で、工期が間に合わなかったり、赤字現場などは鳶を使わずに自分らで足場組立・解体を行った。斫り工事もやったし、コンクリ吹付もやった。型枠もやった。

まじで何でもやるから現場へ飛ぶと、ほとんどが「ダムとか人里離れた山奥」だったので、逃げることもできず。

積丹の海辺のアンカー現場では、豊浜トンネル岩盤崩落事故に間一髪のタイミングだったし、新冠のダム建設では大きな鈴を付けられて、クマとも遭遇した。芦別の現場では土砂崩れの下敷きになりそうだったし、また50トンのラフタークレーンが倒れて「倒れるぞー!」とか言われて安全帯ガチャガチャいわせながら猛ダッシュしたこともある。

ほんと日々サバイバルだった。90年代初期からアンカー工事の需要が高まり、その後アイ技研は自社に下請け会社を持つまで急成長を遂げるが、小泉政権時代の公共事業撲滅キャンペーン政策によりアンカー事業は追い詰められたとみる。

元々アンカー工事自体、いつも立ち合う役所の人間が「これって、必要なの?」って感じだった。その終焉間近にこの会社を辞めていたので、とても良いタイミングに退職していたと思う。

そうでなければオペとかになってアンカー職人になっちゃ、下手につぶしが利かなかっただろう。アイ技研は新技術開発の下請け会社で、新技術開発もその後破産手続きをして消えている。

アイ技研自体4次~5次請けの会社だったので、さして儲かる会社ではなかった。札幌には大成建機も残っているので、アンカー屋は不足していないだろう。ちなみに辞めた理由は社長に「仕事が無いから四日市に何年か行ってくれ」と言われたのでお断りした。


パーラーMGM札幌

パチンコ店。自分が辞めてから数年してマルハンに姿を変えた。この元の会社本体は残っている。本州関東地区では「MGM」北海道は「ロイヤル」と名前を統一。まあ、嫌な思い出しか残っていないパチンコ店勤務。会社が残っているだけに悪いことは書けないが、なぜか一番ここでの仕事が楽しかったという変な矛盾。若い全盛期だったし、ここでの年収が過去の職歴の中で最高年収(400万)という皮肉。できるならタイムマシンで、この時代に戻ったら当時の自分に「パチンコ屋は絶対に辞めておけ!」と伝えておきたい。辞めた理由は言うまでもない。


(株)味車

札幌にあった、うどん・そば・ラーメン・納豆・揚げ・こんにゃく・豆腐などの加工製造業。札幌の豊平の36号線のすぐ近くの菊水にあり、都会の中にポツンとデカい工場が存在した、今ではとても珍しい部類の会社。

札幌中心部には工場と呼べるものは少ない。産業はサービス業が主体の街なのでね。自分が入ったのは仕分け、ピッキング作業で勤務は19時~6時までの深夜帯。昼夜休まずに毎日稼働するこの工場、かなりの人数の従業員たちが働いていた。

北海道の同ライバル企業では「オシキリ食品」などが有名。味車は安さを売りに戦略を立てていたみたい。しかし実際の商品は安かろう悪かろう。自分がいたラインでは中国人が大勢大活躍、友達にもなったが彼らの日本語は片言でうまくコミュニケーション取れず、仕分け作業ではトラブルも度々…。

やがて仕事が楽しく楽ちんになったある日、経営が傾いているとの情報を小耳に挟み、「やはりな…」と思ってさっさと辞める。時給は昼間日中750円、夜間22時〜7時までは950円、休憩がほとんどを占めていて、寝てる間(仮眠が必ずあった。ほとんど仮眠していた記憶)も時給が発生していたし、工場の方はネズミも沢山出没し衛生管理もずさんで、経理もザル経営だったらしい。

すると退社後、すぐに工場が跡形と無く消え去って更地(現在高層マンション)になっていた。問題は新開発商品の生ラーメンで裏の原材料名に「卵」が明記記載されていなかったらしく、食べた子供がアレルギー発作を起こして㈱味車が訴えられたというのを聞いた。それが無かったらまだ存在していたのかも?


(株)日本環境サービス

大阪市の浄水器の訪問販売。面接は札幌で「より優れた人物を選別する面接」なるものを初めて経験し、その後合格して売れるようになれば、札幌支社で主力として戻ってきて貰うと言う甘い言葉に騙され、見事精鋭に選ばれた俺はすぐに福岡へ行くことになった。

福岡の本社でしばらくの間研修すると、さらに大阪へ飛ばされた。社風を具体的に説明すると豊田商事みたいな強烈パワハラ系訪問販売業者である。

新大阪駅前のビルの4階の玄関ドアに㈱日本明水と書いてあり、他社の大手浄水器メーカー㈱メイスイと名前を被らせて、有名企業と勘違いさせて客に浄水器を買わせるような確信犯的な違法訪販業者だったことが、入社後かなり経過してから知ってしまう。

もちろん浄水器はなかなか売れずに新人は借金漬けにされて、従業員を逃げられなくしてしまう手法の悪徳業者。訪問販売を回る場所は大阪から兵庫、京都、滋賀、福井、富山、石川県などなど高速道路で遠征。

訪販を始める時間帯は12時に昼飯を食べてから13時からスタート。売れない営業員は市営・県営・公団・社宅、団地を絨毯爆撃。売れる営業員は新築のホヤホヤをピンポイントで叩かせて(ピンポン)貰える。

ホットタイムは旦那が帰ってきてファミ(夫婦揃っている状態=ファミリー)を叩く、18時〜21時くらいが一番売れる。22時からファミは叩けないので、ワン(レオパレスや単身世帯=ワンルーム)を狙って訪販。

その営業は一番遅い時で深夜3時半まで続く。警察を呼ばれたり、893に捕まったりするのはザラ。その時は全力で走って逃げること。捕まっても「私は会社とは関係なく個人的に行っていた」と絶対会社名は出すなとしっかりレクチャーされていた(教育・洗脳)。

睡眠時間は2時間あるかないか、寝ずに毎日訪販するので気が狂い、つい新大阪近くの公園にたむろするジジイから眠剤を買うようになり、テンションを上げるため薬もやむ無く使用(合法)。

ある長期休暇の時、これではイカン!と一念発起、心斎橋のパチ屋に朝イチで無けなしの金2万5000円握りしめて勝負に行くと、初代パチスロ北斗の拳で爆裂。終日1万2千枚を叩き出して閉店後、換金し地下鉄に乗って東淀川区のライオンズマンション・寮に帰宅。

「これで何かあればいつでも札幌に帰れる…」と札束を数えながら安堵感に浸るも、明けた週に金沢へ出張行く。しかし金沢では自分ら先輩が売れない腹いせか、俺に真夜中ピンポンを強要し係長なる奴と口論、その後支社長とも険悪に。

その週末までに怒りの浄水器2台を売り切り、週末支社長に辞める事を告げ、さっさとスカイマークB737-800に搭乗し伊丹から新千歳に帰還。地獄から見事生還した。

支社長の名前や顔、他の営業員の名前顔は忘れたが、あの北斗の拳のBB(バトルボーナス)70連は絶対に忘れない。俺が辞める寸前に浄水器とさらにディスポーザーも売ろうとしてたし、訪販の法律が改正される間近だったんで、それで潰れて無くなったのか?または社名を変えて違う業種にでも入り込んで、今でも生き残ってるかも知れない?


生き残っているのは?結果として?

以上経験したブラックな仕事内容は全て事実である。書くともっとヤバいことが沢山あるのだが、今回はやめておく。多分一緒に働いていた同僚たちは「あー!あったね、あったねー!懐いわー!」って思ってくれるね。

先程挙げたパチンコ店の元の本体のグループ会社と、トヨタ自動車だけ。生き残っている共通の理由は「巨大企業だから」というのもある。かと言って大企業に勤めれば安泰は昔の時代。

短い期間働いていた会社を挙げれば、静岡の富士市「東芝」にいたこともあるが、俺法則にのっとれば「東芝」も潰れるかもね。あの東芝が今じゃ実際もう体をなしてない会社だし。あと杉岡実業も事実上本体は解体した。働いていたキャバも消えてる。

やはり中小零細企業、個人経営の店なんかは数年〜10年ほどで消えて行く運命なのだろうか?

仮に現在トヨタにいたからって人生が良かったとも思えないし、結果現在が一番楽しい!

これまで転職繰り返して来て良かったということだ。

あと今後人生で望むのは、人にこき使われる生き方ではなく、人に使われない生き方を是非ともチャレンジしていきたいと思う。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。